第3話:ヌーブの正体
また、あの男は無言で怒っている。 大盾を背負った、名前も知らない男。まあ彼が怒るのも無理はない。黒魔術師は何度も詠唱のタイミングを外して火炎を無駄にし、ヒーラーは恐怖で杖を握りしめているだけ。 即席のパーティーなんて、こんなものだ。いつか誰かが力尽きて、ここが墓場になる。いつも通り。そう思いながら、自分はため息交じりに双剣を抜く。
ただ、この男は、他のタンクとは明らかに違う。 誰もが盾役に求める「HP特化」の堅牢さなど、彼にはない。何より目を引くのは、その安っぽい装備だ。ひび割れかけた革鎧に、錆が浮き始めた大盾。どこの辺境の田舎から出てきたのかと呆れるような、このダンジョン化したばかりの「サーカス跡地」という難所に全く相応しくない、泥臭い寄せ集めの装備。ステータスの振り方もおそらくSTR特化。効率だけを求めるこの界隈では、真っ先に「地雷」と指をさされる類のものだ。 周囲は彼を「ヌーブ」と嘲る。無能、ステ振りもできない半端者。それが彼に冠されたレッテルだ。
……面白い。 死の淵を、まるでダンスのようにすり抜けるその危うさ。彼が「ヌーブ」と罵られるのは、彼がタンクとして致命的に脆く、かつ見た目もあまりに無様だからだ。だが、自分だけは知っている。彼が求めているのは生存のための防御ではなく、突き進むための「攻撃的な突破」だということを。
火にかけたままにしていたコーヒーにミルクを注ぎ、彼に差し出す。 「……飲む?」 彼もまた、私をただの「攻略の駒」としか見ていないはずだ。それでいい。互いに多くを語らず、役割を全うする。情なんてものは、このダンジョンではカフェオレのミルクよりも早く冷め切ってしまう。
男がカップを受け取る。 無骨な指先がカップに触れる。彼は何も言わずにカフェオレを飲み、無言でMAPを広げる。 彼にとって、このダンジョンは「地図を埋める場所」でしかない。 私は、その地図を完成させるための、最も効率のいい道具。
ふと、彼が背負うその安物の盾の傷が目に留まる。 脆い盾を掲げ、罵声を浴びながら、彼は独りでどれだけの死線をすり抜けてきたのだろう。 その背中が、この狂った場所で唯一、確実に「動かない」ことだけは知っている。彼が崩れれば、その瞬間、自分も地図も終わる。それがたまらなく魅力的で、同時に恐ろしい。
黒魔術師のいびきが聞こえる。 ヒーラーの寝息が、湿った空気の中で反響している。 自分は膝を抱え、焚き火の火を見つめる。
明日もまた、戦いが始まる。 彼はまた、ギリギリの立ち回りで敵をあしらい、自分はその隙に敵を射抜く。 彼がこのダンジョンの地図を完成させるその時まで、私は彼の駒として生きる。 脆い盾の向こうで、彼が次にどんな「計算」を披露するのか。それを見届けることが、今の私の愉しみになりつつある。
カフェオレの香りが、少しだけこの場所の冷気を和らげている。 双剣の刃を指先でなぞり、次に敵がどこから来るかを考えた。 明日の朝には、またこの「地図を描く男」の、危うくも美しい背中を追うことになるのだろう。
名前も知らない、ただの利害の一致。 それでも、私が淹れたこのカフェオレを、彼が飲んでくれる間は、もう少しだけこの「道化師の遊び場」で踊り続けてもいい。