第6話:崩れゆく盾
もはや全滅だ。
「……ッあぁぁ!」という、情けない悲鳴。 黒魔術師は、空間が反転した際、自分の盾にすがろうとして自ら歪みの中心へと吸い込まれた。ヒーラーは、自分が盾を捨ててまで少女を守ろうとした瞬間、隙を見逃さなかった敵の呪詛に呑まれて光の中に消えた。 即席の駒たちは、最後まで自分の地図の邪魔にしかならなかった。
自分と、あのシーフの少女だけが残された。
道化師の笑い声が、空間を支配している。 自分の盾は、道化師の連撃で既に限界を超えている。安物の素材は悲鳴を上げ、左腕には感覚がない。だが、ヘイトを剥がすわけにはいかない。自分が盾を構え続ける限り、道化師の視線は自分に釘付けになる。
「……撤退はしないの!? このままじゃ盾ごと砕け散っちゃうよ!」
少女が叫ぶ。彼女の双剣は狂ったように回転し、道化師の隙を縫うように切り裂き続けている。彼女は一度も止まらない。自分がヘイトを維持し、道化師の注意を自分に固定させているその一瞬を、彼女は最大限の攻撃機会に変えている。
「……もう少し。このまま押す!」
自分は折れた盾の柄を握り直し、道化師の重い一撃をあえて受け流さず、その腕力でねじ伏せる。衝撃が骨に響くが、今の自分にはそれすら心地よい。この痛みこそが、自分がまだここで生きている証だ。
少女の動きは精緻を極めていた。 彼女は道化師の攻撃の予兆を、自分の盾の角度から読み取り、紙一重で回避しながら、双剣を敵の脆弱な部位に叩き込む。彼女の動きには無駄がない。
だが、状況は絶望的だ。 POTはとっくに尽きた。自分たちのポーチには空の瓶が虚しく転がっているだけだ。治癒魔法の残滓もなく、次に道化師の攻撃が直撃すれば、それは即ち死を意味する。掠り傷一つ、毒の一滴すら命取りになる極限の状況。
自分の体から、熱が急速に奪われていく。肺が焼けるように熱い。視界の端が、泥のような黒ずんだ影に浸食され、世界が歪んでいく。指先にはもう力が入らない。筋肉の繊維が限界を超え、断続的に痙攣している。全身を巡る血の熱さが、自分の中から零れ落ちていくのがわかる。鼓動が、鼓動が……遠ざかっていく。
「わかった、今のうちに削りきるよ!」
彼女の声が響く。自分たちの連携は、もはや言葉さえ必要としない。 自分が盾で道化師の動きを制限し、彼女がその隙に攻撃を重ねる。それがたとえ、玉座の間が崩落していく絶望的な状況下であっても、自分たちの手元には「完璧な計算式」が成立している。
玉座の奥――そこには、自分が見たかったはずの景色が、一瞬だけ見えた気がした。 歪んだ空の向こうに広がる、見たこともない色をした星空。
「……あと少し!」
少女がまた鋭い一撃を見舞う。 崩落する床が、自分の足元を食らっていく。 盾が、ついに大きな音を立ててひび割れた。だが、自分はまだ離さない。
「……ッ!? ダメ、これ以上は共倒れになっちゃう!」
少女が瞬時に状況を判断する。彼女は攻撃の手を止め、崩落する床の隙間から、辛うじて退路になり得る「歪みの亀裂」を見出した。 彼女は自分の背中を強く突き飛ばし、退路を確保するための足場を双剣で固定する。
「 撤退よ! これが最後のチャンス、今のうちに跳ぶの!」
「先に行け!」
自分は最後の力を振り絞り、道化師の懐深くへと盾を突き出す。
無能な連中を抱えた結果、ここで野垂れ死ぬのか。自分の地図は未完成のまま、この狂った場所の肥やしになる。 ああ、くそ。もっと、もっとやりようがあったはずだ。なぜ、あそこで迷った? なぜ、もっと早くあいつらを切り捨てなかった? 徐々に失われる意識の中、後悔だけが、崩れゆく床の底から喉元までせり上がってきていた。