第5話:道化師の玉座
ようやく、ここまで辿り着いた。 空間の歪みが視覚的に揺らめき、耳障りな笑い声が壁の向こうから漏れ聞こえる。
背後の黒魔術師は恐怖のあまり、呪文の制御を失いかけている。ヒーラーは震える手で杖を抱え、ただ加護が切れないよう祈るだけの置物と化していた。彼らには、この先で何が待っているのか、この歪みが何を意味するのかを理解する知性も余裕もない。 ただ、自分だけは知っている。この空間を突破するために、どのタイミングで盾を砕き、どの隙間に少女を通せばいいのかを。
「……準備はいいか」 隣に並んだ少女が、短く双剣を鳴らした。 彼女の眼差しには迷いがない。それは、かつて自分が見ていた……あるいは、誰かの加護を求めて彷徨うような鈍い光とは決定的に違う。彼女は、この狂った場所をただ自分の歩幅で歩き、自分の技量で切り開こうとしている。
その姿勢に、奇妙なほど惹かれる。 自分はこれまで、誰かのために盾を構え、その過程で使い捨てられる駒として生きてきた。 だが、今の自分は違う。この泥にまみれた装備も、脆い盾も、すべては自分がこの目で景色を見るために選んだ「自分のための手段」だ。
「……あいつらが勝手に悲鳴を上げようが、知ったことじゃない」
自分は盾を構えた。表面の革が剥がれ、内部の木の軋みが耳に届く。 これが最後の一戦になる。この安物の盾が砕ける音は、恐らく世界で一番心地よい音楽になるはずだ。
少女がふと、こちらを見た。 彼女は言葉を発する代わりに、空になった水筒を軽く振った。もう、カフェオレは残っていない。 だが、その空気感だけで十分だ。温もりが消え去ったからこそ、自分たちの戦いに余計な情は残っていない。
「行くぞ」
「……ええ」
道化師の笑い声が、空間を切り裂いて響き渡る。 自分は迷宮の法則を強引にこじ開け、少女は歪みの向こう側へ踏み出した。
これは、自分のための地図。 誰も踏み込んだことのない、この狂った場所の最果て。 自分は盾を突き出し、その向こう側に広がるであろう景色を求めて、泥臭く、しかし誰よりも正確に、一歩を踏み出した。