第68話:一挙両得のシナジーと、封じられた最前線
「私としては、新参の我がギルドにはもっと低難度の定型業務(ルーティン・ワーク)が振られると踏んでいたのですがね。なるほど、『ミリオンダラー』という異名は、我々の想定以上に巨大な無形資産(ブランド)へと成長していたようです」
夜、今や完全に定例となった二人だけの戦略ミーティング。
スポーツフェスのポスターラフを起こす自分を傍らから眺めながら、ヤガミが静かに呟いた。
「しかし、結果としては悪くない一手です。いや、むしろ我がギルドにとっては僥倖と言うべきでしょう。首都の公式メディアを動かす『広報(パブリック・リレーションズ)』の権限と、古参マスターの個人資産を動かす『マーケティング』の権限。この2つの席を同時に得られたのは非常に大きい。一挙両得のシナジー効果(相乗効果)が見込めます」
「ヤガミ、……これで良いと思うか?」
自分は描きかけのラフ案を彼に向けて差し出した。
「さて? 私は財務と経営の人間ですから、芸術的な領域に関しては門外漢(ノン・プロフェッショナル)ですのでね。ただ、視覚的なレイアウトとしての設計は悪くないと思います。あとは、このクリエイティブがいかに実際の集客という成果を担保(コミット)できるか……でしょうか」
「つまり、デザインロジックか……」
自分は思わずペンを持ったまま頭を悩ませた。
年に一度、首都を挙げて開催される『夏季冬季スポーツフェスティバル』の告知ポスター。これが広報部会としての自分の初仕事だった。ただ格好いい絵を描けばいいわけじゃない。この絵がどれだけの都民を動かし、経済効果に繋げられるか、その手腕が試されているのだ。
「まぁ、競合他社とのコンペティション(入札競争)でもありませんし、最初から我がギルドの採用が内定している案件です。ゼロから新規開拓する営業活動に比べれば、随分とイージーな仕事ではありませんか?」
眼鏡の奥で平然と言ってのけるヤガミを、自分は少しだけ睨みつけた。こっちはプレッシャーで押し潰されそうなのだ。
「おっと、失言だったようですね。では、私はオウル氏から委託された陶器の販売経路を開拓すべく、地域物産店の『棚割り』を借り受ける算段をつけてきます。まずは限定的なチャネルでのテストマーケティングを行い、消費者の購買行動データを集めるのが最も合理的ですからね。マスター、そちらの陶器販売用のフライヤーデザインも、並行して進めておいてくださいよ」
「わかった、わかったよ」
ヤガミは綺麗に一礼すると、音もなく部屋を退出していった。
静まり返った室内で、自分は彼が置いていった最新のギルド経営報告書へと視線を落とした。
数字は、恐ろしいほど順調に右肩上がりを続けている。さらに、組織の規模拡大に伴う『ギルドホールの移転先候補』の資料も数箇所に絞り込まれて添付されていた。間取り、平米単価、立地条件、周辺の流動人口。どれも完璧な市場調査がなされた資料だった。
ふと、部屋の隅を見る。
あの、みんなでワイワイと過ごしていた古いギルドホールには、もう自分の荷物は一つも残っていない。ヤガミの手によって、すべてが効率的に、この宿の5階の自室へと運び込まれていた。
(もう、あの4人で食卓を囲むことも、ないんだな……)
喉の奥がツンと熱くなる。
一人きりの広い部屋。数字を追いかけるだけの毎日。押し寄せてくる圧倒的な孤独感に、胸が締め付けられそうだった。
報告書の束をめくっていくと、一番最後のページに、現在のギルドの活動報告としてダンジョンの攻略資料が添付されていた。
――『黒紋塔』。
首都最高峰の難易度を誇る、伝説のダンジョン。
ジークさんの容赦ない指導のもと、新人たちの育成プログラムが完了し、ついにこの最高難易度の塔に挑む算段がついたらしい。
そこには、綿密に組まれた攻略パーティーの編成表が挟まれていた。
当然ながら、そのどこを探しても、自分の名前は存在しない。ヤガミにとって、ギルドマスターという「最大価値の看板」を前線でリスクに晒す選択肢など、最初から存在しないのだ。
けれど、自分はその編成表の文字を見て、ハッと息を呑んだ。
冷徹なヤガミの書類には似合わない、少し丸っこくて、けれど芯のある見慣れた筆跡。
メーヴェの字で書かれた、その編成表を見つけた瞬間、懐かしさで心が一気に跳ね上がった。
そして、その用紙の最下部に、小さな走り書きが一つだけ残されていた。
『お土産話に期待しててね、あとPOTありがとう』
その、事務的な書類には絶対に不必要な、けれど彼女らしい真っ直ぐな言葉を見つけた瞬間。
視界が急ににじんで、自分は慌てて手の甲で目元を拭った。