第24話:冷えたコーヒーと、重い盾
 ダラーが去ってから、数日がたった。  部屋に流れる時間は、彼女のいない世界に適応しようとすることを拒んでいる。  「……今日は、少し冷えるな」  習慣とは恐ろしいものだ。自分は今日も、無意識のうちに二つ分のコーヒーの粉を量っていた。  ダラーが淹れるコーヒーは、いつも完璧な温度で、深い香りと共に彼女の落ち着いた気配を部屋に満たしてくれた。自分はそれを、ただ彼女の隣で受け取っていればよかったのだ。  淹れたコーヒーをテーブルに置く。湯気が静かに立ち上る中、ふと、向かいの席が空であることに気づく。  彼女がひょっこりと扉を開けて、「今日は豆の挽き方を変えてみたの」と笑ってくれるのではないか。そんな馬鹿げた期待が、胸の奥で腐った果実のように甘く、重く沈んでいた。  自分一人で淹れたコーヒーは、どうしたってあの味にはならない。彼女の温かな気配が欠けているからだ。  (彼女は、帰ってこない)  彼女は、自分とは違う。  あんなにも強く、目的を持ち、真っ直ぐに未来を見据えられる人間だ。戻ってくるはずがない。彼女が選んだ道は、自分という「外装」を切り捨ててまで進まなければならない、高く険しい場所にあるのだから。  頭の中で、彼女の最後の言葉が鳴り響く。  「タンクになれば、あなたは……誰かから必要とされる」  彼女のいない自分は、一体何者なのだろう。  中途半端な槍の知識と、彼女の理論をなぞるだけの器用さ。彼女という「目的」を失った自分は、ただの「器用貧乏」な抜け殻に過ぎない。この街のどこにも、自分という存在を受け入れる場所はないのだ。  だったら。  彼女が残した言葉を、この空っぽの器に満たしてみるべきかもしれない。  たとえそれが、彼女の幻影を追いかけるだけの醜い真似事だったとしても。彼女が自分に残した、最後で唯一の「理」なのだから。  翌日、ダラーに教えてもらった記憶を頼りに、街の片隅にある古びた武具屋の扉を叩いた。  中古の盾と、使い込まれた肩当て。彼女に教えてもらった目利きを頼りに、必要最低限の装備を選び出す。  彼女にアドバイスをもらえれば、褒めてもらえればどんなに良かっただろう。  「……盾なんて、どうやって扱えばいいんだ」  誰に聞けばいいかも分からない。教えてくれるはずの彼女は、もう隣にはいない。  店主の怪訝そうな視線も、街を行き交う冒険者たちの冷ややかな目線も、今の自分には意味をなさなかった。ただ、彼女が望んだ姿に近づくことだけが、今の自分の唯一の拠り所だった。  重い盾を背負い、街を出る。  一歩進むたびに、盾の重みが肩に食い込む。それは彼女の期待の重さであり、同時に、彼女を失ったという現実の重さだった。  (いつかまた、戻ってきてくれるだろうか)  そんな願いを捨てきれぬまま、自分は誰もいない道を歩き出す。  彼女の影を追うために。彼女の残り香に縋るために。自分は今、不器用に盾を抱えて、彼女のいない世界へと足を踏み出した。