第61話:岐路の川辺、変わる四人
 朝から晩まで、自分は市場の喧騒の中に張り付いていた。 飛び交う怒号のような声、硬貨の擦れ合う音、商品を値踏みする鋭い視線。それらに揉まれながら、かつて地方都市の道具屋で雇われ店員として働いていた頃のことを思い出していた。  あの頃の自分は、とにかく商品を安く仕入れ、他店より安く売る――それ以外の商売のやり方を知らなかった。だが、今の自分はただの売り子ではない。一億の資産を抱え、これから大きくなるギルドの財務を支える責任者なのだ。かつての拙い経験だけでは通用しない世界に、必死で喰らいついていた。  自分が市場で相場と格闘しているここ数週間、メーヴェとユーはホールにこもり、ずっと新メンバーの書類選考と面接にかかりきりになっていた。 その間、ツツジは単独でこなせる治安維持のクエストを消化して小銭を稼ぎつつ、率先して日々の買い出しや雑務を引き受けてくれている。  夜になればギルドホールで全員が顔を合わせ、食卓を囲む。けれど、かつてのように四人で肩を並べ、息を合わせてダンジョンへ挑むことは完全になくなっていた。互いが互いの役割に追われる、そんな日々が淡々と続いていた。  ――そんなある日の夜。 食後、メーヴェから「少し歩かない?」と呼び出された。  「久しぶりね。二人だけでこうして出歩くのも」  月明かりに照らされた川沿いの道を、あてもなくぶらぶらと歩く。心地よい夜風が、市場の熱気で火照った頭を少しだけ冷ましてくれた。  「お互い、今は忙しいからな」 「そうね。……ねえ」  メーヴェがふと足を止め、川面に映る月を見つめたまま、ぽつりと言った。  「謝りたくてね。……『ギルドマスター』なんて、こんな重い責務を負わせてしまって」  「謝る必要はない」 自分はすぐに首を振った。 「数えきれないほどの借りを返さなきゃいけない。それに……これが『仲間』というものなんだと思う。互いにただ依存するだけじゃなく、それぞれの場所で支え合うことが大事なんだと、今は分かるから」  それは、ずっと自分自身に言い聞かせたかった言葉だった。 あの地方都市での別れ、過去の影を引きずったまま盾を構えた自分。その未練の影は、まだこの身のどこかに残っているのかもしれない。けれど、首都に来る前、メーヴェに思い出の家具を全て処分されてしまった。そこで、自分の中で何かが綺麗に吹っ切れたのも確かだ。過去に依存する自分は、もうそこにはいない。  「永遠の4人(エターナルカルテット)……」  メーヴェがその名前を愛おしそうに呟く。  「あたしはね、ミリ。この居心地がいい空間に、ずっといたいと思ってしまったのよ。今までのように根無し草として生きるんじゃなくて、この縁を繋ぎ止めたいって。……でも」  メーヴェが振り返り、何か決意を固めたような、どこか悲痛な目で自分を真っ直ぐに見つめた。  「時間は流れるわ、ミリ。…あたしは間違えたかもしれない……あなたの隣には……あたしは……」  彼女は何かを言いかけ、そして、目を瞑って無理に言葉を飲み込んだ。 無意識のうちに、お互いが「それ以上踏み込んではならない」と、目に見えない境界線を引いているのを感じた。彼女が何を言おうとしたのか、それはきっと、今の自分たちが触れてはならない領域なのだ。…そして、大きく息を吐きだした。  「――8人、採用するわ。ギルドマスター」  メーヴェはいつもの凛とした声に戻り、実務的なトーンで告げた。  「そのうちの1人に『副ギルドマスター』の座を与える。名前はヤガミ。財務に特化した魔術師よ。ギルドマスター、あなたはこれから、そのヤガミと共にこの組織を守って」  さらに彼女は言葉を続ける。  「もう1人、ジークという名の剣士がいるわ。彼には新人の育成を任せる。そして、彼にはツツジをつけるわ。……あたしとユーは、人事と組織運営の裏方に回る」  メーヴェが一歩近づき、自分の目をじっと見つめる。  「これは、あたしからあなたに対する、最初で最後の『人事命令』よ、ギルドマスター。財務という、この組織のすべてを左右する重荷を……ごめんなさい。あなたに全てを託さなければいけない」  メーヴェの絞り出すような声に、自分の心は鉛のように重くなった。 直感的に理解した。これを飲めば、自分とメーヴェの道は決定的に分かれる。もうあの気楽で、命がけで、何よりも楽しかった二人の冒険には戻れない。  だが、だからこそメーヴェは自分を「ギルドマスター」と呼んだのだ。 きっと自分には分からない、彼女なりの深い葛藤や理由があったのだろう。だから彼女はこんなにも悲痛な顔をしている。  捨てる覚悟を、決めなければならない。  「……わかった」  深く、大きく息を吐き出し、自分はそう答えた。  「……ありがとう。」  予想通りとでも言うように、だが心底残念そうにメーヴェはそう呟いた。  「…じゃあ、戻りましょうか」  踵を返し、歩き出したメーヴェは、もう二度と自分と目を合わせてはくれなかった。