第20話:野獣の森、旅立ちの境界
ダラーの父からの返信は、意外にも早いものだった。いや、それは「返信」というより、彼女の理論に対する「招聘」に近いものだった。 自分たちは、いつかのための視察として墓地を離れることになった。
「ナノ、私たちは次の段階へ行くわよ。この墓地で積み上げたものは、より大きな舞台でこそ真価を発揮するの」
ダラーはそう言って、自分を連れて部屋を出た。首都までは七日かかる道のりだ。 そして今日、首都へと向かう街道沿いに口を開けているダンジョン、【野獣の森】の境界で、私たちは一時的に足を止めている。道中での魔物の挙動や、首都へ続く地形の特性を把握しておくための視察だ。
田舎の村で育った自分にとって、これほどの長旅は、すでに未知の領域への侵入に等しい。見知らぬ木々のざわめき。移動することそのものが、自分の魂を削るような恐怖を呼び起こす。 首都で生まれ育ったダラーには、この感覚は一生わからないだろう。彼女にとって都会は「庭」だが、自分にとっての都会は、巨大な胃袋を持つ未知の怪物だ。墓地という閉鎖された聖域でダラーとの均衡を保ち、彼女の思考に最適化されてきた自分にとって、価値観が激しく交差する首都は、何よりも恐ろしい場所だった。
「ねえ、ナノ! 首都に着いたら、あの大図書館の資料を全部見ましょう? 都会の魔力の流れを把握すれば、私たちの理論はもっと洗練されるわ!」
ダラーは瞳を輝かせ、まるで遠足に行く子供のように無邪気に笑う。彼女のその陽気さは、自分の胸の奥に広がる冷たい穴を、より深く際立たせるだけだった。
「……ああ、そうだな。楽しみだ」
自分は精一杯の声を絞り出す。彼女には、自分のこの根深い恐怖が理解できるのだろうか。墓地という極限の環境でなければ、自分はダラーの隣にいられないのではないか。そんな不安が、喉の奥を締め付ける。
思い返せば、自分がこうしてペンを握るようになったきっかけは、彼女の何気ないひと言だった。 『私が中身を書くから、ナノは私専属の絵描きになって』 あの時の発言から、自分は彼女の理論を包み込む「外装」を創り上げることに、病的なまでの熱意を注ぐようになった。
最初は、ただ彼女の役に立ちたい一心だった。だが、描き続けるうちに、自分の中で何かが変わった。 今では、地図を描くことも、このダンジョンの生き物たちの生態を写生することも、自分にとって隠すことのない「趣味」となった。
首都への恐怖。この終わりの見えない長旅への不安。それらは消えない。 自分は、次のページをめくる。 ダラーが夢見る輝かしい都会の光に焼かれて、自分が灰になって消えてしまわないことを、ただ祈りながら。