第67話:無報酬の広報部会と、老獪なディール
「『第六天』のオウルだ。よろしく、若きギルドマスター」
前半の会議が終わり、15分間の休憩時間に入った途端のことだった。
円卓の隣に腰掛けていた初老の男性が、静かに右手を差し出してきた。
自分は一瞬身構えたが、すぐに「エターナルカルテットのミリです。よろしくお願いします」と、その肉厚な手を握り返した。
「噂はかねがね聞いているよ。キミは、なかなかに見事な絵を描くそうだね?」
オウルの眼鏡の奥にある細い目が、まるで照準器のようにまっすぐ自分を捉えていた。親しげな口調とは裏腹に、その視線は獲物の急所を正確に見定める猛禽類のそれだった。
「……よく、ご存じですね」
背筋に冷たいものが走る。自分のプライベートな行動まで掴まれていることに、恐怖を禁じ得なかった。
「ははは、そんなに緊張しなくていい。なに、うちの若い物好きがね、キミが川のほとりでスケッチブックを開いているのを偶然見かけたと言っていただけさ。……それにサーカス跡地の調査では見事な地図を提出したと聞いている。珍しいもんだと思ってね。今の冒険者ときたら、脳まで筋肉でできているような手合いばかりだからな」
オウルは上品に、しかしどこか含みのある笑い声を上げた。
「実は私も、引退してからは陶芸を少々やっていてね。景色のいい山の上にアトリエ兼自宅を買ったんだが、妻には利便性が悪いと文句ばかり言われているよ。だが、いい土を確保するためだから我慢してもらっている。……ただ、最近少し手狭になってきてね。作品の在庫が数千点を超えてしまったものだから、倉庫の維持コストも馬鹿にならない」
オウルの視線が、会議室の窓の外、遥か遠くに霞む山並みへと向けられた。おそらくあの辺りに私有地を持っているのだろう。
「そこで、今をときめく『ミリオンダラー』殿に、少し相談に乗ってもらいたい。私の作品の販売チャネルの開拓を、手伝ってはくれないかね? もちろん相応の報酬は支払う。キミのような若い感性で、現代的な『マーケティング』を行ってもらいたいんだ。デザインの素養もあるわけだろう?」
ニヤリと、オウルが口元を歪めた。
(デザイン……マーケティング……)
脳裏に、ヤガミの冷徹な声が蘇る。
『マスター。必ず何か宿題を出され、役割が与えられます。まず間違いなく外れくじです。ですが、沈黙を保ち、甘んじてそれを受け取ってください。初期の参入障壁を崩すには、まずは下働きによる社会的証明(ソーシャル・キャピタル)の構築が必要不可欠です』
自分は小さく深呼吸をし、オウルを見据えた。
「わかりました。自分の拙い知識でよければ。まずは、数点ほどからでもよろしいですか?」
「おう、構わないよ。受けてくれて助かる。……だが、やはりそうか。キミはデザインの領域にも造詣が深いのだな」
「いえ、決して体系的に教わったわけではなく、ただの趣味の延長でしかありませんが……」
「タバサ殿!」
自分の言葉を遮るように、オウルが突然、円卓の向こう側へ向かって声を張り上げた。
「行政が外部へ発注している印刷物のボリュームは、現在どれほどある?」
役所の壁や首都中の掲示板に貼られているポスター、あれだけでも年間を通せば馬鹿にならない金額のコストが発生しているはずだ。
円卓の反対側に座る、「フローレン」のギルドマスターであるタバサと呼ばれた女性が、手元の分厚い財務資料を開いた。
「正確な予算執行状況は課長経由で監査を通さなければなりませんが……昨年度の発注実績ベースで、確か200万部程度だったはずですよ」
「それだけの外注費は、現在のカツカツの予算繰りにおいて無視できない圧迫要因だろう?」とオウルが畳みかける。
「それはそうですよ。都の予算枠はいつでも上限が決まっていますから、広報費の捻出にはいつも頭を悩ませています」
「ならば、その業務を内製化しよう。浮いた外注費の予算は、他の防衛費や治安維持の補正予算に回せばいい」
タバサの鋭い視線がオウルを捉える。
「……内製化ですって? 役所の中に、そんなプロモーション用のデザインを起こせる優秀な人材がいるとでも?」
オウルはニヤリと笑い、その太い指をまっすぐ自分へと向けた。
「そこで、この『ミリオンダラー』殿の出番だ。彼は卓越したデザインスキルを持っている。我が委員会の新たなリソースとして活用しない手はない」
タバサの視線が、一瞬にして自分へと転換された。
「はじめまして、ミリオンダラー。ギルド『フローレン』のタバサです。……それで、ミリさん。本当にそれだけのタスクをこなせるの?」
正直、商業的なデザインなんてやったことはないし、自信など微塵もなかった。だが、ここで引けばギルドの評判に関わる。自分は、奥歯を噛み締めながら静かに頷いた。
「……わかりました。では、次期プロモーションの基本デザインはミリさんにお任せします。印刷工程に関しては既存の提携業者との契約があるため外せませんが、川上のデザインコストをゼロに抑えられるなら、費用対効果は劇的に改善します。ミリさん、これは委員会における『名誉職(プロボノ)』としての扱いになるため、直接的な報酬は期待しないでくださいね?」
タバサは事務的ながらも、どこか期待を込めた目で言葉を続けた。
「ただし、あなたの手掛けたデザインが、この首都の全域に溢れることになります」
自分の手のひらに、じっとりと冷たい汗がにじむ。
自分の知らないところで、巨大な大局が動いている。ヤガミの言う通り、新参者である自分に、極めて重く、そして割に合わない「コストセンター」としての役割が背負わされようとしていた。
「ふむ、では『エターナルカルテット』の配属先は、広報部会ということで決定だな」
それまで静観していた別のギルドマスターが、低く重い声で口を挟んできた。
「広報担当として参画する以上、単なる自己満足の芸術ではなく、その成果物がもたらす広告効果や認知度、具体的な数字(KPI)は厳格に意識してもらいたい。……失礼、私は『玉座の騎士団』のマスター、ダルクだ。よろしく頼む」
チャレンジャーたる大手の長からの、実務的な牽制だった。
「エターナルカルテットのミリです。宜しくお願いします」
自分は頭を下げた。
こうして、エターナルカルテットは他3つの古参ギルドとともに、この首都のすべての情報をコントロールする「広報担当」へと抜擢されることとなった。すべては、ヤガミの予測した歪んだシナリオの通りに。