第69話:白き巨塔の黒き紋様、あるいは前線の鼓動
首都の東にそびえる、634mの巨大な白い塔。
あたしはツツジ、ユー、ジークと4人で、このダンジョンの下見に訪れていた。
元々は、首都エトレインの富と建築技術の粋を集め、神への畏敬か、あるいは大空への純粋な挑戦として建てられた大展望塔だったという。富裕層や遠方からの観光客で賑わい、かつては繁栄の象徴そのものだったその建造物が、今や首都最高峰の凶悪なダンジョン『黒紋塔』と呼ばれているのには、あまりにも陰惨な歴史がある。
10年前、突如として発生した空間異常がこの塔を飲み込み、数千人の観光客ごとダンジョン化した。その際、蔦のように這う異常空間の亀裂が塔のすべてを覆い尽くした。まるで、呪いのような黒い紋様のように。それ以来、ここは黒紋塔と呼ばれている。
外から見ればただの建造物だが、一歩足を踏み入れれば、そこは物理法則の狂った異界だ。上へと登る通常の階段はなく、空間そのものが生き物のように伸縮し、階層の繋がりさえ不定期に入れ替わる。その複雑さと生還率の低さから、これまで数多の熟練パーティーが消息を絶ってきた、まさに首都最凶の魔窟。
学者はあの黒い紋様を「異世界の文字情報の断片」だなんて呼んでいるようだけれど、冒険者にとってそんなことはどうでもいい。大事なのは、この狂った塔を攻略し、首都最高峰の景色を拝むこと。そのための準備を積み重ねてきた。
ジークが白髪混じりの髭を撫でながら、サングラスの奥の目で静かに塔を見上げる。その背中には、かつて多くの戦場を潜り抜けてきた男の重みがあった。
「でっかいなあー。爺さんは攻略経験あるのか?」
ツツジが尋ねる。ツツジは歴戦の剣士であるジークを当然のように「爺さん」と呼ぶ。
「ああ、一度踏破済みだ。ダンジョン化した際に調査と救助依頼でな」
ジークの低い声が、塔の不気味な静寂に溶ける。
「全29階層。数週間がかりだった。性質的な理由で推奨人数は8名。だが、今回は万全を期して10人で挑む」
「ミリさんとヤガミさん以外のフルメンバーですねー」
ユーが、抱えた杖を少し強く握り締めながら、寂しそうに声をあげる。
「そうね……」
あたしは短く応じた。
彼は今、慣れない机に縛り付けられ、ギルドのために必死に数字と戦っている。あたしたちも頑張らなければならない。彼の努力に、結果で報いるために。
ジークが東西の入り口を指差す。
「5人ずつにわかれ、東西の2ルートから同時に攻略を開始する。1階層ずつ上昇する2つの機械は階層ごとの仕掛けをとき、互いに上昇のボタンを押さなければ動かない。文字通りコンビネーションが鍵だ。」
「東ルートは、あたし、ジーク、デルタ、セラ、トキ。西ルートは、ツツジ、ユー、クマ、シロ、ワダツミ。西は任せるわよ、ツツジ、ユー」
あたしが声をかけると、二人は真剣な顔つきで深く、力強く頷いた。
「爺さん、何か気をつけることはあるか?」
ツツジの問いに、ジークは塔の入り口を静かに見据えた。
「このダンジョンが最高峰と呼ばれるのは、その特異性だ。中は完全に異世界に飲み込まれている。階層の移動も重量制限のある『天動機』と呼ばれる異世界の機械頼みだ。……好奇心に殺されないことだな」
異世界の機械、天動機。
きっと彼がここにいたら、目を輝かせてスケッチブックを広げたことだろう。
最高級POTのお礼に、彼が羨ましがるような土産話をたくさん持ち帰ってあげよう。しばらく会う機会も失われていたけれど、今回ばかりはあの冷徹なヤガミにだって文句は言わせない。
彼がギルドマスターとしての重圧を乗り越え、すべてが落ち着いたその時、今度は絶対一緒にこの塔の頂上へ挑む。これは、未来への布石なのだ。
あたしは、天を突き刺すようにそびえる、黒い紋様の巨塔を静かに見上げた。