第8話:ミリという名
治療院の消毒液の臭いが鼻につく。 あれから三日。ようやくあのタンクは息を吹き返した。
「……あ」
意識を取り戻した彼は、天井を見つめて短く漏らした。 死にかけていたとは思えないほど、生への執着がその瞳に宿っている。私はベッドの横に置いてあった、高額な薬代と治療費の請求書を、あえて彼の視界に入るように突きつけた。
「おはよう、負債王。……あんたのおかげで、あたしの貯金はすっからかん。愛用の双剣まで歪みの隙間に消えて、今は丸腰よ」
彼は呆然とした顔で請求書を見つめたあと、かすれた声で言った。
「……自分は、盾を失った……」
「盾ならまた買えばいい。あんたが稼げばいいだけの話よ。あたしの高級POT代も、双剣の再調達費も、全部あんたが背負うんだから」
私は冷ややかに言い放つ。 あの日、あの崩落するダンジョンで、彼を担いで逃げ切れたのは奇跡に近い。本当に、彼の命は「ミリ単位」の確率で繋がったようなものだ。
「……あんた、名前は?」
私が問いかけると、彼は黙り込んだ。 名乗るべき名前すらないのか。ダンジョンで拾っただけの、名もない駒。この先、何度も死線を越えることになる。いつまでも「あんた」呼ばわりでは効率が悪い。
「……じゃあ、あんたは『ミリ』でいいわ」
「ミリ……?」
「そう。崩落であんたの命はミリ単位で繋がった。その『ミリ』の命を、これからあたしのために最大限、効率よく使い潰す」
私は自分の胸を親指で軽く叩いた。
「あたしはメーヴェ。元は回避型タンクをやってたから、敵の動きを読むのは得意よ。バジリスクを一人で狩れるくらいにはね。今は弓と双剣を使い分ける中近距離シーフ。トラップ解除から前衛のフォローまで、仕事は早いから感謝しなさい。……あんたみたいな変わり者タンクとは、相性がいいはずよ」
私は彼が持ち込んでいた羊皮紙を広げた。そこには、彼が死に物狂いで記録していた、荒々しくも正確なダンジョンの構造が描き込まれている。私は指先でその線をなぞり、彼に見せつけた。
「ダンジョン攻略の道筋はこうよ。あんたは高いSTRを生かして敵を引きつけ、その頑強な肉体で全部受け止める。あたしはその隙に弓と双剣で敵を処理する。幸い、あのダンジョンの調査依頼はまだ生きてるわ。このまま継続して、あんたが描いたこの地図を埋め尽くす。最深部まで攻略して、莫大な報酬を手に入れるのが最短かつ最も効率的なルートよ」
彼は不思議そうに、しかし深く頷いた。
「………わかった。」
「負債を返済するまでは絶対に死なないでよ。……行くわよ、ミリ。まずは路銀を稼げる依頼を探す。効率的に、無駄なくね」
あたしは立ち上がり、扉を蹴るように開いた。 後ろから、重い足取りで彼がついてくる。 ここからが、あたしたちの長い、本当に面倒なバディとしての生活だ。