第12話:ナノ
今の自分――「ミリ」になるずっと前。自分は「ナノ」と呼ばれていた。
自分たちが暮らしているのは、地方都市の中心にある小さな部屋だ。毎日、ここから町はずれの山林にある【騎士団墓地】へ通っている。このダンジョンは、一歩踏み違えれば命を削る厄介なトラップがそこら中に仕掛けられている。毒ガス、隠し穴、魔法陣。奥へ行けば行くほどその密度は増すが、自分たちは常に、比較的安全な入り口付近での狩りを繰り返していた。
その入り口付近でさえ、油断すれば足元を掬われる。だが、自分には恐れる理由がなかった。ダラーがいるからだ。
ダラーは、とにかく器用で知恵が回る女だった。 「ナノ、そこは踏まないで。あの墓石の配置、トラップのトリガーだよ」 「ここは魔法陣の刻印が薄いから、聖光を一回流せば無力化できる。覚えておきなよ」
彼女は一目でダンジョンの仕掛けを見抜き、最小限の動きでそれを回避し、あるいは解除する。自分は彼女の後ろについていくだけで、トラップの知識も謎解きの知恵も、すべて彼女から学び取ってきた。彼女が杖先で指し示す場所を覚え、彼女が唱える無力化の呪文をなぞる。自分にとって彼女の言葉は、この死地を生き抜くための唯一の正解だった。
いかに効率よく稼ぐか、いかにリスクを排除するか。彼女の戦いには一切の無駄がない。かといって、彼女は無理をして深淵に飛び込むような愚かな真似はしない。完璧に計算された安全圏で、金貨を搾り取る。その冷徹なまでの効率主義に、自分はただ身を任せていればよかった。
「まだ日没まで時間がある。もう一回りすれば、あと銀貨数枚はプラスになるよ」
そう言って、彼女は一日中、休むことなく狩り続ける。聖光で死霊を討伐し、湧き出る野犬を自分に槍で追い払わせる。その正確なリズムに、自分はただバフを重ねるだけだ。彼女が疲れを知らずに効率を追い求める姿を、自分はただ眺めている。未来のことなど考えたこともない。ダラーがいれば明日も今日と同じ食事ができ、同じ寝床がある。それ以上を望む必要も、考える必要もなかった。
自分はダラーの邪魔をしないように、彼女が安全に、効率よく稼げるようにと、ただそれだけの理由で槍を振るっている。自分にとって彼女は、唯一の世界の境界線だった。彼女が入り口という安全圏で光を放ち、知識を授け、稼ぎ続ける限り、自分は残酷な墓地の深淵から遮断され、彼女の愛という温もりの中にいられる。
「ダラー、今日の稼ぎはどうだった?」
自分はそんなことしか聞けない。彼女が杖を止め、微笑む。
「ナノが教えた通りに動いてくれたおかげで、今日も上々だよ」
彼女の笑顔があれば、それでいい。霧が墓石の陰から自分たちを飲み込もうとしても、家に帰れば彼女の淹れた温かい茶がある。彼女の影の一部となって、彼女から知識を与えられ、この「仕組み」に寄生して生きること。それが、ナノと呼ばれていた自分のすべてだった。