第36話:天空の棺への約束
 最深部までの道中は、以前の苦戦がまるで嘘のように順調だった。  一度は全滅の憂き目に遭った場所だが、空間が歪むトラップも、すでに手元にある地図と記憶を照らし合わせれば迷うことはない。もはや見知った景色であり、苦戦する理由はどこにもなかった。 ピエロの仮面や色鮮やかな衣装を纏った異形の敵たちを、メーヴェとの的確なスイッチングで蹴散らしながら、二人はサーカス団跡地の深部へと歩みを進める。  メーヴェはひどく余裕があるようだった。時折ご機嫌な鼻歌なんかを歌っているし、ふと目が合えば「ねえ、しりとりでもする?」と悪戯っぽく笑いかけてくる。 だが、自分は小さく首を振って前を向いた。  (慢心は敵だ)  自分にそう強く言い聞かせ、大盾のグリップを握る手に力を込めて、緊張感をもう一段階引き上げる。あの日のガンナーの怒号を、そして自分が犯した過ちを、一秒たりとも忘れてはならない。  わずか一日。 あっという間に、自分たちは因縁の最奥、「道化師の間」の重厚な扉の前へと辿り着いた。  いつものように野営の焚き火を起こし、護符を火にくべる。パチパチと弾ける特有の焦げた匂い。これがある限り、道中の敵は不用意に近づいてこない。 メーヴェはすこぶる上機嫌で、甘いカフェオレを二つのカップに淹れた。これから因縁の死地に臨むというのに、何が彼女をそんなに楽しませているのだろうか。  「ねぇミリ、ライオハルツって知ってる?」  「……ライオハルツ?」  温かいカップを受け取りながらオウム返しに問うと、彼女は楽しそうに目を細めた。  「そ。大昔に騎士団が使っていた飛空艇なんだけどね、航行中に突如ダンジョン化して墜落しちゃったの。乗っていた騎士団100人の命と一緒にね」  「そんなダンジョンがあるのか。……見てみたいな」  純粋な好奇心が口を突いて出た。その言葉に、メーヴェは我が意を得たりとばかりに身を乗り出す。  「面白いと思うよ。渓谷の崖の隙間にすっぽり挟まってるからすっごい危険で、誰も近寄らないんだけどね!でも、あたしは行ってみたい。事故現場だからって忌避されて、まだ誰も踏破していないダンジョンなんて、最高に楽しそうじゃない?」  こんなに興奮している彼女を初めて見た。彼女の言う「楽しい」の感覚は完全には理解できなかったが、自分の心も確かに動いていた。  「面白いかはわからないが、その景色には興味がある」  「決まりね、ミリ! ここが終わったら、次はライオハルツよ。この街から徒歩で2日もあれば着くわ。この地方都市に流れ込んでる河川を、ずっと上流へ上った渓谷にあるから」  「そうか、わかった。ここが無事に終わったら行こう。……まだ、メーヴェへの借りもあるしな」  「そ。借りはきっちり働いて返してもらわなきゃね」  メーヴェはとにかく上機嫌で、カフェオレを飲み干した。  明日、この因縁の場所を必ず踏破する。そして、ライオハルツとやらを描きに行こう。 焚き火の炎を見つめながら、自分の心の中に、かつての歪んだ執着とは違う「純粋な未知の景色への欲求」が、静かに、しかし熱く燃え上がり始めていた。