第62話:回し車のギルドマスター
 「ナンセンス。いいですかマスター。安く売る……そんなものはただの大量消費、いわゆる『価格競争』に過ぎません。いかに限界利益(マージン)を乗せ、付加価値をつけるか。三方よし、価値を提供してこその商売です」  眼鏡をかけた執事服の男性――ヤガミが、手元の帳簿から目を離さずに静かに言い放つ。  「ただ安く仕入れて客のもとに運ぶ。そんなものは子供のお使い……ただの物流代行です。それでは投下資本利益率(ROI)が低すぎます」  (マージン……?トウカシホン……?) 全く聞き慣れない横文字の羅列に、自分の頭はすでにパンク寸前だった。  市場の熱気と喧騒の中にあって、ヤガミが立つ空間だけは、冷気でも出ているかというくらいに冷ややかだ。  メーヴェから副ギルドマスターとしてヤガミを紹介されてから、ずっと二人で市場に張り付いている。 「いちいちホールに戻るのは時間の無駄です、マスター」と、ヤガミは即座に市場近くに宿とギルド専用の倉庫を借りた。おかげで今の自分は、宿と倉庫、そして市場を、「キャッシュフロー」だの「ワーキングキャピタル」だの、よく分からない数字を追いかけながらぐるぐると回っている。まるで回し車の中を走り続けるハムスターだ。  「マスター。その素材を買うのなら、そのまま売らずに合成して上位素材に変え、武器として精錬(インテグレーション)すべきです。手間はかかるでしょうが……ご存じですか? 今、大手ギルドがこぞって人材募集をかけ始めました。こんな弱小のうちを警戒しての、一種の防衛策(ヘッジ)です。『ミリオンダラー』の名前が完全に一人歩きしているのですよ。つまり、数週間後に市場は『高性能な武器』を猛烈に求めます」  白い手袋に包まれた指で、ヤガミは眼鏡をくいっとあげる。  「チャンスの女神は一瞬で通り過ぎますマスター。競合他社がサプライチェーンを整える前に、その前髪を掴むのが私達の仕事です。このギルドを守るために」  「わ、わかった。精錬はいつもの鍛冶屋に頼もう。それで、何本くらい用意すればいい?」 理屈は半分も分からなかったが、とりあえず「強い武器を作れば売れる」ということだけは理解し、自分は具体的な指示を仰いだ。  「大手ギルドの動向次第にはなりますが、最低100本。25PT(パーティー)分を初期ロットとして押さえます」  「100!? そんなに用意する必要が??」 思わず大声が出た。たった四人で活動していた自分にとって、桁が違いすぎる。  「いいですかマスター。大手のメンバーは数千人規模ですよ。そこが数年ぶりに大規模な募集をかけるんです。地方にもね。今やあなた方がいた地域は、一種の『ブランド育成地(優良人材のブルーオーシャン)』として期待されているんですよ。この間話題になっていた書籍にも、そんな育成理論がありましたからね」  「そうなのか……」  あの地方都市が、いつの間にそんなブランド扱いになっているのか。スケールの大きすぎる話に、自分はただ呆然とするしかない。  「この大手募集の噂が流れたら、他の中小も必ず追随します。この首都に冒険者が一極集中する。つまり、今度は何が必要になるか……もうおわかりでしょう。市場に莫大なキャッシュが溢れますよ」  自分はこくりとうなずいた。 経済理論にはついていけなくても、「とんでもない大金が動く波が来る」というヤガミの確信だけは、ひしひしと伝わってきた。  「ですが、『頭と尻尾はくれてやりましょう』。欲張って不良在庫(デッドストック)を抱える前に。…数字は割り切ることが大事です。……ではマスター、夜にまたMTG(ミーティング)といきましょうか」  ニヤリと。 ヤガミは今日初めて、底知れぬ商人の微笑みを浮かべた。