第78話:万華鏡の迷路と、色彩の守り人
これまでの道のりは、決して順調とは言えなかった。
廃墟を越え、火山を渡り、洞窟を潜り、雪山、砂漠、断崖、そして海岸……。
一度として同じ景色はなく、常にこの黒紋塔の理不尽な環境があたしたちに襲いかかってきた。生態系すら階層ごとに目まぐるしく変わる空間。そのすべてが、あたしたちの命を脅かす脅威だった。
そして今、あたしたちは万華鏡のようにきらびやかで、それゆえに酷く不気味な、鏡張りの階層へと足を踏み入れていた。
複雑に繋がり、視覚を狂わせる鏡の迷路。その中を進んでいたとき、ジークが鋭く前方を指さした。
「あれがドッペルゲンガーだ」
ジークの視線の先を見て、あたしは息を呑んだ。そこにいたのは──あたしたち自身だった。
「惑わされるなよ、声も同じだ。オレ達の会話内容を学習して声を発する。とにかく、離れないことだ。頭が良く入れ替わりを狙っている」
ジークの冷徹な警告に、隣にいたデルタが怯えたようにあたしの服をぎゅっと掴んできた。
「えっえっ、じゃあもしかしてボク置いてかれるかもしれないってことっすか!?」
さすがのデルタも、この不気味な塔に取り残されることだけは絶対に避けたいようだった。
「人生ここで終わるかもしれないってことっすか!?」
突如、あたしたちの背後から全く同じ声が響いた。
振り返ると、そこにはもう一人のデルタが立っていた。
「まじで怖すぎるんすけど!!」
あたしの服を掴んでいるデルタが、悲鳴を上げながら偽物の自分を指さす。
「これ撃っても大丈夫なんすか!?」
すると、偽物のデルタも全く同じモーションで銃を構えた。あたしの腕にしがみついている本物のデルタも、負けじと銃口を向ける。
「まずいな、一度天動機へ戻るぞ」
「まて、今のは偽物だ」
今度はジークの声が同時に2つ響き渡った。完全に敵の術中にはまりかけている。互いが互いを疑い出せば、その時点で全滅だ。
「トキを囲んでください!」
その混乱を引き裂くように、セラが鋭い声を上げた。全員の視線が、しっかりと手を繋いだままのセラ夫妻へと集まる。
「トキは必ず本物を見分けられます。天動機に戻ったらトキが選別します」
セラの言葉に、トキが静かにこくりと頷いた。
「どうやってっすか!?」と、デルタの一人が声を上げる。
「まずトキは人より見える色の数が違うんです。ドッペルゲンガーも、彼女の目には全くの別人のように見えているようです」
トキが再びセラの言葉に頷く。
「色で見分けられるの?」
あたしも思わず口を挟んだ。
「はい。トキは色で判断してヒールやデバフ解除を行ってます。毒の種類も色でわかる……彼女は天性のヒーラーなんです」
セラの誇らしげな説明に納得しかけたが、ジークが唸るような声で懸念を口にした。
「だが、どれが本物のトキかわからんぞ?偽者がコイツが本物と言い出したら収拾がつかない」
「最初に声を出したトキが本物です。まだトキはこの階層で一言も発してません。ドッペルゲンガーにはマネできません」
セラの完璧なロジックに、あたしは思わず心の内で拍手を送った。
「こんな攻略方法があるとはな…」と、ジークが感心したように顎をさする。
あたしたちが攻略の糸口を完全に掴んだのを察したのか、周囲のドッペルゲンガーたちに明らかな動揺が広がっていった。ざわざわと、不気味な様々な声が鏡の中に伝播していく。
「となると奴等は次に塊になってぶつかってくる。こちらの陣形を崩して孤立させようとな。とくにトキを狙ってくるはずだ」
ジークがセラ夫妻を背中に庇うようにして、重厚な大剣を構えた。
敵の狙いが分かれば、あたしたちのやるべきことは一つだけだ。
「……セラとトキを囲みつつ、近寄ってくるヤツ全員倒せばいいのね」
あたしも覚悟を決め、双剣を鋭く構える。
「わかりやすくていいっすね!」と、あたしの腕に絡みついたままのデルタも銃を構え直した。
その瞬間、遠巻きに様子を伺っていた偽物のデルタが、突如としてあたしたち目掛けて走り込んできた。だが、その眉間を、本物のデルタの放った銃弾が正確に撃ち抜く。
弾頭が直撃した途端、偽物の身体はさらさらと光の粒子になって虚空へ消え去った。
「いいぞ、この陣形のまま迷路の最奥に向かう!4本の柱を壊せばギミックはクリアだ!」
ジークの張りのある声を合図に、ドッペルゲンガーの群れが雪崩のように押し寄せてきた。
セラの放つ広域魔術が、氷の飛礫を雨のように降らせ、激しい火炎を撒き散らして敵を一掃していく。
「同じ顔がいっぱいで気持ち悪いんすけどー!」
デルタはあたしの腕をがっちり掴んだまま、狂いのないエイムで偽物たちの眉間を次々と撃ち抜いていく。
「うおおぉ!!」とジークが大剣を横一閃に振り抜き、迫る群れをまとめて叩き切った。
あたしたちは文字通り一丸となって、一歩、また一歩と奥へ向けて突き進んだ。
無数に押し寄せる敵の視線は、そのどれもが中央のトキを捉えている。トキが一言でも声を漏らせば、あるいは一瞬でも隙を作って入れ替わりさえすれば、あたしたちは二度と進めなくなる。トキこそが、この階層における最大の鍵であり、勝利の絶対条件だった。
「まるでお姫様を守るナイトっすね!!」
冴え渡る射撃を見せながら、デルタが楽しげに叫ぶ。
「昔は同じ顔のヤツを全滅させてたもんだがな!」
ジークも豪快な笑みを浮かべながら、大剣で道を切り開いていく。
押し寄せる悪夢のような群れを退けながら、あたしたちは迷路の最奥にある4本の柱を全て破壊し、見事にギミックを突破した。
柱が壊れてもドッペルゲンガーの群れは止まらなかったが、あたしたちが天動機へと戻ってきたとき、彼らはそれ以上近づこうとはせず、ただ遠巻きにあたしたちを見つめるだけだった。その姿は、まるで完全に観念したかのようだった。
中央で、トキが優しく頷いた。
──私たちの中に、偽物は一人も混じっていない。
ドッペルゲンガーたちは、静かに踵を返し、次々と鏡の奥へと消えていった。
『残念 バイバイ』
鏡の向こうから、そんな声が寂しげに一言だけ、ぽつりと響いて消えた。